馬良は蜀の政治家であり、荊州時代の劉備に従えた人物です。
馬良といえば、白い眉毛がトレードマークで、5人兄弟のうち「馬氏の五常白眉最も良し」と言われた優秀な自分であることが、漫画版三国志でも紹介されていますね。
インパクトのあるビジュアルと、後世に残る「白眉」という言葉によって、漫画読者の印象にも強く残ったのではないでしょうか。
登場シーンがしっかり描かれていたので、「この人きっとこれから劉備を補佐する文官として大きく活躍するんだろうな」なんて思ったのに、結局は対して活躍することもなく、いつの間にかなくなってしまったという報告を諸葛亮が受けたため、「あれ?」なんて思った人も多いはずです。
では、そんな馬良は史実ではどのような人物だったのでしょうか。
特別な功績こそ残っていないものの周りから評価される馬良
「馬氏の五常白眉最も良し」なんて歌われるほどの五兄弟ですから、五人全員が優秀である中で馬良が最も秀でているのが当時の評価だったのでしょう。
ただ、史実では、馬良と馬謖以外の兄弟について、具体的な記載が残っておらず、兄弟の優秀エピソードが特に見当たらないのです。
唯一、次男の馬康について、「魏で江夏太守となって呉の侵攻を度々阻んだ」といった記載があるものの、この馬康は武芸の人であって、学問に関して特に優秀だったわけではないようですね。
つまり、5兄弟の基準がわからないので、馬良がどれくらい優秀だと目されていたのかよくわからないのが実情です。
それじゃあ、実際の功績から馬良の能力を推し量ればいいじゃないかと考えるのが自然の流れ。
ですが、史実を紐解いてみると、馬良が蜀において特に大きな功績を上げたという記述がないんですよ。
なので、なかなか評価が難しい人物だなと個人的には思います。
ただしこの馬良、具体的な功績こそ残っていないものの、当時の優秀な人物から評価されていたのは確かなようで、孫権のもとへ使者として赴いた際には孫権から大いに評価されたし、馬良から諸葛亮に送った手紙に「尊兄」との表記があることから馬良と諸葛亮が義兄弟関係にあったのではと考える歴史家もいます。
なので、今言えることは「どんな功績を挙げたのかよくはわからないけど、孫権や諸葛亮に評価されているっぽいしおそらく優秀な人物だろう」ということくらいです。
実は夷陵の戦いでなくなっていた馬良
漫画版三国志では、病によってなくなり、その報告のために馬謖が諸葛亮のもとを訪れるという演出が施されていましたが、史実においては、馬良は夷陵の戦いでなくなっています。
馬良は文官であったため、戦の最前線に立った指揮するような役回りではなく、異民族を懐柔して呉との戦いに強力させる役割を担っていたようです。
夷陵の戦いにおける敗北は、武官だけでなく、馬良や黄権といった蜀の主要な文官がなくなったり捕まったりしているため、蜀にとって非常に手痛い大敗であったことが窺い知れますね。
なお、馬良がなくなったことを聞いた劉備は、馬良の息子を騎都尉に任じてこれに報いています。
劉備としても、夷陵の戦いの敗北に責任を感じており、それによって馬良という優秀な部下をなくしてしまったことを悔いていたんでしょうね。
なお、劉備は生前、馬良をずっと荊州に留め置いており、益州侵攻に随行させたり、益州の政務を任せることは一切ありませんでした。
これはおそらく、荊州における馬氏の名声が非常に高く、その名声を活かして馬良に荊州の安定に一役買ってもらうためだと思われます。
馬良は名声も能力も兼ね備えた蜀になくてはならない存在だったのではないでしょうか。
もう少し活かせたのではないかと思える漫画版馬良
馬良って、「白眉」という非常に大きな外見的特徴を有している一方で、史実には具体的な功績があまり記されていないので、非常に脚色がしやすい人物だと思うんですよね。
それだけに、漫画版三国志の馬良というキャラクターは少し勿体ないというか、もう少しストーリーにからめて活躍させても面白かったのではないかと思います。
難点はずっと荊州に留め置かれていたことですね。
もしも馬良が益州侵攻に随行していたすれば、間違いなく漫画で活躍の場を与えられていたでしょう。
自分が漫画の著者になった気分で空想出来るのも、三国志の楽しみの一つですね。