馬岱は蜀の武将であり、馬超の従弟にあたります。
馬岱といえば、漫画版では馬超に付き従って二線級の武将として活躍し、諸葛亮の北伐の頃には蜀の一線級の武将として大活躍したイメージが強いのではないでしょうか。
劉備没後の蜀は深刻な人材難でしたが、趙雲・魏延といった強力な武将もまだ存命であり、馬岱は彼らに次ぐ北伐の要として活躍する姿が漫画に描かれています。
それでは、史実の馬岱はどのような人物だったのでしょうか?
馬岱の経歴や人物像は何も分かっていない
いきなり結論を言ってしまえば、史実に馬岱に関する記述はほとんどなく、馬岱の経歴や人物像は全くわからないのです。
三国志の馬超伝においては、馬超が死去する際に「私の家族はほとんど曹操の手にかけられてしまいましたが、馬岱のみ生き残っているので、彼を馬氏の祭祀を守らせるものとして陛下に託します」と劉備に言い残した、という記述があります。
また、三国志の魏延伝においては、反乱を起こした魏延が破れて逃走した際に、馬岱は魏延父子を追いかけてこれを切り捨てた、という記述があります。
史実における馬岱の記述は、主にこの2つなのです。
漫画では、馬超に付き従って曹操と戦い、その後劉備に帰順していますが、史実ではそもそも馬超のもとで曹操と戦っていたのかすらわかりません。
また、北伐に参加して武功を上げたという事実もありません。
漫画版では活躍の多い馬岱ですが、史実では何もわからない謎の人物なのです。
なお、馬岱は、235年に兵を率いて魏に侵攻し、魏の牛金に敗れて大きな損害を出した挙句退却したという記述が、晋書に残されています。
しかしながら、諸葛亮死後間もなくまだ蜀が安定していない時期に、一介の武将に過ぎない馬岱がなぜ兵を率いて魏を攻めたのか、全く理由がわかりません。
ますます謎は深まるばかりですね。
史実で活躍していない武将ほど脚色しやすい
馬岱がなぜ漫画で多いに活躍するようになったかというと、脚色が加えやすい人物だったからでしょう。
蜀の武将の代表格である馬超の従弟という立場にありながら、史実では具体的な活躍が描かれていないという馬岱は、フィクションのストーリーを構築する上で非常に脚色が加えやすく、ストーリーにアクセントを加える役割を担わせることが出来るわけです。
この他にも張飛に子張苞、関羽の子関興といった人物も、史実では全くもって活躍が描かれていないにも関わらず、漫画版三国志において活躍の場が用意されています。
重要人物の血縁者で、尚且つ史実ではその活躍をうかがい知ることが出来ない人物に、脚色を加えてストーリー上に登場させるという手法は、三国志演義の常套手段であり、漫画版三国志もこれに従って描かれているわけですね。
このように、史実を知ると、「なぜこの人物は漫画版でこのような脚色をされたのだろう?」という妄想に繋がるため、より想像の世界が広がっていきます。
史実を見て、ほとんど活躍していない馬岱を「つまらないな」の一言で片付けるのではなく、なぜ馬岱には漫画で活躍の場が与えられたのだろうという目線で考えを巡らせば、新たな発見があるかもしれませんね。