張遼文遠は、魏の武将であり、魏の5将軍と言われる張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃の筆頭格にあたります。
もともとは丁原、董卓、呂布に従えており、呂布の滅亡後に曹操配下に従えています。
横山光輝氏の漫画版三国志では、主に蜀を中心として物語が描かれているので、「張遼なんて武将いたっけな」くらいの認識かもしれませんが、魏を中心とした漫画である「蒼天航路」では、その知勇兼備ぶりを遺憾なく発揮して大活躍するため、蒼天航路を読んだ人ならば曹操軍一の武将と言えば張遼といった認識をもっているかもしれませんね。
周りに「魏で最強の武将と言えば張遼!」という人がいれば、その人は間違いなく横山氏の三国志ではなく蒼天航路を読んでいるはずです。
それほど蒼天航路ではインパクトのある活躍をする武将ですので、ゲームの「三國無双」においても張遼は主役級のキャラクターとして登場する機会が多く、他の武将に比べるととても優遇されているように思えます。
そんな魏国最強の武将張遼ですが、史実ではどうだったのでしょうか?
漫画と変わりなく史実でも最強の張遼
張遼という武将は、史実でも漫画と何ら変わりなく活躍している珍しいタイプの人物です。
むしろ、漫画よりも史実の方が活躍しているといってもおかしくありません。
それほどに、張遼の活躍は凄まじいものがあったのです。
特に合肥に戦いにおいては、獅子奮迅の活躍を見せます。
守兵七千程度で呉軍十万を迎え撃ったり、時には騎兵八百で呉軍十万に飛び込んで多いにかき回したり、一度の突撃で敵将2人を討ち取ったり、孫権を捕縛寸前まで追い込んだり、とにかくびっくりするくらい活躍しています。
孫権も張遼のことを大いに恐れ、張遼が病床に伏しているという知らせを聞いても合肥を攻めることを躊躇し、呉では「張遼がくるよ」と言っただけで泣いている子どもが泣き止んだと言われています。
とんだ鬼神扱いですね。
史実の張遼は、漫画以上に大活躍したとんでもない武将だったわけです。
任務を最優先する将軍の鏡
そんな最強の武将張遼ですが、その性格にも非常に惹かれる要素がたくさんあります。
たとえば、張遼と関羽は、関羽が曹操配下にいた頃に出会い、兄弟と呼びあって敵となってからも親交があったと言われるほどで、張遼は敵味方関係なく義に厚いタイプだったことがうかがい知れます。
また、張遼は、同僚である楽進・李典と不仲で折り合いが悪かったものの、 合肥の戦いにおいては「国の窮地に私念は問わない」として曹操の指令を忠実に守り二人と協力して呉軍を大いに打ち破っています。
義に厚く、自分と合わない人物でも国のためなら協力出来る聡明な性格をもった張遼は、ただ強いだけでなく性格的にも魅力のある武将なのです。
降将だからこそ節度をわきまえる
張遼がこれほどまでに大活躍したのも、降将という自分の立場をわきまえて、国のことを第一優先に行動してきたからではないでしょうか。
張遼は、丁原、董卓、呂布と君主を変えていき、曹操に巡り合っています。
曹操に従えたのも、決して呂布を裏切ったわけではなく、呂布軍が壊滅して捕まってしまい、仕方なしに軍門に降ったと言えるでしょう。
普通に考えたら、そんな風見鶏のように状況次第で主君を変えてしまう部下なんて、いつ裏切られるか怖くて信頼がおけませんよね。
しかも、丁原がなくなってしまって仕方がなかったとはいえ、あの暴君董卓に仕えているわけですから、疑いの目で見られても仕方がないはずです。
そんな自分に立場をわきまえて、「自分の保身ではなく国に身を投じる」という思いで曹操に尽くしてきたからこそ、素晴らしい実績を出せたのではと思います。
現代においても通ずる考え方ですね。