田豫は、魏の武将ですが、蜀の劉備と非常に関わりが深い人物です。
漫画版三国志では一切登場しない田豫ですが、魏における功績は目をみはるものがあり、しかも旗揚げ初期の劉備と密接な関わりがある人物なので、史実好きの三国志フリークにとっては、「何で田豫を漫画に登場させないんだ!」と思ってしまうほどです。
そんな田豫の人物像や、劉備との関係性について、詳細に解説していきます。
劉備と同郷の田豫は実は関羽や張飛以上に劉備と深い仲?
史実に田豫が登場するのは「劉備が公孫瓚の下に逃れた時、まだ少年だった田豫もこれに付き従い、劉備に高く評価された」という記述です。
劉備が公孫瓚に下に逃れた時期は、まだ劉備が旗揚げして間もない時期であり、そもそも劉備自身に求心力なんて皆無の頃です。
そんな中、田豫は少年の身でありながら劉備に従っているわけですから、普通に考えれば疑問がわきますよね。
「何で田豫は劉備に付き従っていたの?」
「どのタイミングで田豫は劉備軍に身を投じたの?」
僕は、その答えは田豫の出身地にあると思っています。
実は、田豫という人物、劉備と同じ涿県出身なのです。
同じ州出身というのは偶然の一致として考えられますが、同じ県出身ともなれば偶然とも思えません。
つまり田豫は、劉備と同郷で若かりし頃から親交があり、その流れで劉備の旗揚げの頃から従軍したか、もしくは途中から配下に入ったと考えられるのです。
そうでもなければ、何の面識もなければ求心力もない弱小軍隊の劉備軍に、わざわざ付き従う理由がないと思います。
つまり、田豫は劉備と旧知の仲だったのではないかと推測します。
そう考えると、漫画版三国志で有名な、劉備・関羽・張飛が義兄弟の契を交わす「桃園三結義」も、史実では劉備・簡雍・田豫の三人で行われていたかもしれないなんて妄想が膨らみますね。
優秀なのに誰も知らない田豫の魅力
劉備との関係が深く、物語の中心人物となっていてもおかしくない田豫ですが、史実では劉備が豫州刺史の時代に母親の老いを理由に劉備の元から去って帰郷しています。
これだけ聞くと、理由を付けて劉備のもとから離れたかったように思えますが、決してそんなことはありません。
古代中国では、「孝」に対する意識が非常に強く親を最優先する考え方は決して不自然ではないのです。
劉備も別れ際に「君とともに大事を成せないのは惜しい」と涙したというようなエピソードも史実に記載されており、田豫が劉備にとって如何に重要な存在だったか伺い知ることができますね。
その後、田豫は魏で大いに活躍することとなります。
その活躍は、決して二線級の将軍の活躍ではなく、そのまま劉備に従っていれば関羽や張飛と並び称されていたであろう大活躍です。
あの司馬懿仲達からも大いに評価された数少ない人物であり、劉備はとんでもない人材を失ったなといったところでしょうか。
それほどまでに優秀だった田豫ですが、なぜ漫画版三国志に登場しないのでしょうか?
その理由は2つあります。
1つ目は、劉備のもとをはなれて曹操のもとで活躍したこと。
そもそも、劉備=正義、曹操=悪という構造で物語が進行していくのに、劉備に付き従っていた優秀な人物が曹操に鞍替えして魏で大活躍したとなれば、物語に支障をきたしますよね。
田豫は義に厚く節度をわきまえた人物なので、そんな人物が劉備から離れて曹操に従ったとなれば、劉備の正義性が崩れてしまいます。
2つ目は、活躍した場所が主に魏と北方領土との境界あたりであったこと。
三国志は、あくまで魏呉蜀の3国の争いを描くものですが、田豫は魏と北方領土との国境を守る要だったので、3国の争いに直接関与する機会はほとんどなかったのです。
結果として、田豫という人物は、物語にうまく絡めることができない厄介な存在で、漫画では闇に葬り去られてしまったのではないでしょうか。
名前を残せるか否かは時の運
田豫をみていると、如何に優秀だとしても、正当に評価されるかどうかは時の運によるなと思ってしまいます。
あのとき、劉備のもとに残っていれば蜀将として大いに活躍して漫画でも取り上げられていたかもしれないし、魏において任される地が蜀や呉との国境付近であれば、張遼のように大活躍して呉蜀を苦しめる存在として描かれていたかもしれません。
こればっかりは仕方がないですね。
それでも、優秀だけど不遇な人物であっても見つけて評価してくれる人は必ずいます。
それを信じて愚直に頑張るのは現代でも大切なことですよね。