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魏の武将楽進文謙!漫画でも史実でも評価された実直な勇将!

楽進は魏の武将であり、曹操が反董卓のもと挙兵した際に曹操の幕下に加わった人物です。

曹操の部下としてはなかなか古参の武将であり、曹操一族や夏侯一族についで曹操陣営の入るのが早かったと言えますね。

横山光輝氏の漫画三国志は、蜀を中心に物語を展開させているため、魏や呉における武将は主要な人物以外はあまり詳しく描かれていません。

そのため、この三国志を読んだ読者からすると、「楽進?誰それ?」といった認識しかないかもしれませんが、蒼天航路という漫画を読んだことのある方であれば、その認識は一変するはずです。

蒼天航路は、魏呉蜀のうち魏を中心に物語が進んでいく構成の漫画で、史実もふんだんに織り交ぜながらストーリーが進行していくため、楽進についても非常によく描かれており、蒼天航路の読者からすると、「楽進といえば曹操軍の一番乗り担当の勇将!」といったイメージがあるのではないでしょうか。

そんな楽進ですが、史実ではどんな人物だったのか、具体的に紐解いていきましょう。

何度も一番乗りを果たした勇猛な武将だけど…

史実における楽進は、曹操の幕下に加わって以来、曹操黎明期に各地を転戦してあらゆる戦いに参加して度々武功をあげ、何度も一番乗りを果たしています。

何度も一番乗りを果たしているということは、一番危険な役回りを進んで買っているわけで、楽進が如何に勇猛な武将であるかよくわかりますよね。

そんな勇将楽進ですが、何故か世間からは地味な印象を持たれてしまいがちなんです。

これはひとえに、楽進に与えられた仕事の影響でしょう。

楽進は、曹操に幕下に加わった当初、武将ではなく記録係として採用されたのです。

何度も一番乗りを果たす武将とは思えない職なのですが、彼の史実の経歴は記録係からスタートするわけですね。

楽進に地味な印象が付き纏うのも、もとはといえば文官出身だったということもあるのでしょう。

その後、曹操は楽進の求心力を認めて武将に起用し、楽進は曹操の期待に答えて武功を立て続けます。

そんな楽進に与えられた次なる仕事は、防衛線における守備の要としての役目でした。

ここでも楽進は、曹操の期待に答えて役割を全うし、荊州の劉表からの攻撃に備えたり、合肥にて張遼や李典と協力して孫権に進行を大いに阻んだりと、まさに獅子奮迅の活躍を見せます。

しかしながら、守備の要という役回り上、ド派手な武功をあげることもなく、その生涯を終えてしまいます。

功績としては、他の武将に引けを取らない非常に輝かしいものがあるのですが、与えられた仕事の性質上、地味な印象を持たれてしまっているのではないでしょうか。

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実直に任務を遂行することを徹底した職人気質

このように、楽進という武将は、その役回り上ド派手な活躍をした訳ではないものの、与えられた仕事を実直にこなし、最後まで全うし続けたという点で非常に優秀な人物であると言えます。

物事って口で言うのは簡単でも、それを100%成し遂げることってとてもむずかしいですよね。

例えば、少年野球をはじめた子どもが「小学生の地方大会でベスト8に入る!」という目標を掲げたとして、目標自体はそんなに大きなものではなくある程度現実味のある範囲のものだったとしても、有言実行でこれを成し遂げるということは、やはりすごいことです。

しかも楽進の場合、ほぼ100%仕事を成し遂げているわけですから、並大抵の器量ではないことは明らかです。

現代においても、取り立てて大きな能力があるわけじゃなくても真面目に仕事をこなす姿が評価され、周りからの信頼を勝ち取るケースは少なくありません。

楽進のような性質をもった人は、現代社会でも通用するかもしれませんね。