賀斉は、呉の武将であり、孫策の代から孫家に仕えた人物です。
漫画版三国志では、たたでさえ蜀対魏の対立構造を描いているために呉の武将たちがないがしろにされがちですが、賀斉に関しては漫画に名前すら出てきません。
そのため、漫画の読者からすると、「賀斉?誰それ?」といったところでしょうね。
だけど、この賀斉という人物は、史実において大活躍する武将であり、しかもエピソードに事欠かない非常にユニークな武将なのです。
今回は、史実における賀斉の事績を紹介していきましょう。
呉が安心して曹操や劉備に退治出来たのは反乱を掃討していた賀斉のおかげ
孫呉は、その土地柄か反乱が非常に多い国だったようです。
呉の南方には、百越や山越と言われる異民族が暮らしており、彼らにまでは呉の統治が及んでいなかったため、呉は北方において曹操と対峙しつつ、西方において劉備と対峙し、さらには南方において異民族の反乱を沈めなかればならないという、非常に忙しい状態だったのです。
そんな中、孫権が建業に腰を据えて曹操や劉備と対峙できたのは、南方において賀斉が数々の反乱を沈めていたからなのです。
まさに、賀斉は反乱討伐のエキスパートであり、呉にはなくてはならない存在だったわけですね。
賀斉が漫画に登場しなかった理由は、南方の反乱討伐を主な役目としていたので魏呉蜀の戦いの中心にいなかったからだと思われます。
ちょっと勿体ない気もしますが、歴史の裏でコツコツと暗躍し、実績を挙げ続けた賀斉はまさにいぶし銀な魅力を感じますね。
賀斉は208年に反乱の討伐を称されて偏将軍の位に登っています。
偏将軍は、出世街道の登竜門のような位であり、魏では夏侯惇、于禁、張郃らが、呉では黄蓋、周瑜、陸遜らが就任している将軍職であるため、賀斉もよっぽど将来を期待されていたのでしょう。
ところで、元劉備軍の武将で、荊州を守っていたときに孫呉に降伏した糜芳という人物をご存知でしょうか?
劉備が陶謙に身を寄せていた頃からの旧臣であり、兄の糜竺とともに漫画版三国志にも頻繁に出てきていたため、糜芳が孫呉に降伏したときには、「嘘だろ?ずっと劉備と一緒だったのに裏切るのかよ?」なんて悲しい気持ちになった人もいるのではないでしょうかね。
その糜芳について、孫呉に降伏して以降、具体的な足取りはわからないのですが、史実において「糜芳は賀斉の配下として呉を裏切った晋宗を攻撃し、生け捕るなどの活躍をした」という記述があります。
賀斉のもとで、南方の反乱討伐にあたっていたようですが、糜芳も慣れない土地で大変な苦労だったでしょうね。
派手好きがこうじて曹休軍を撤退させる活躍をみせる
ここまでの話では、賀斉は呉の南方で反乱を鎮めて回った良将といったところですが、賀斉の一番の魅力は、派手好きというところでしょう。
この時代、質素な生活や倹約が尊ばれており、有名な武将や政治家は必要以上の贅沢をしない生活をしていたり、私財を投げ売って国に身を捧げたりすることで、人々の尊敬を集めていました。
そんな中、賀斉は非常に派手好きな性格で、自らの財をきらびやかな装飾品の購入に当てていたそうです。
具体的には、賀斉は、自軍の兵士に対して精巧で上な武器や甲冑などの装備品は持たせ、船には彫刻や彩色を施して色とりどりの幔幕をつけ、盾や矛には花文様を鮮やかに描き、とにかく自軍をきらびやかに魅せることにこだわったとのことです。
現代のインスタグラマーのようで、ちょっとかわいい性格ですよね。
そんな豪華絢爛な賀斉軍ですが、222年、魏が三方から呉へ攻め入ったときに、曹休軍と対峙することになります。
その際、魏の曹休は、賀斉軍の異様なビジュアルに恐れをなして、一線も交えず軍を引き返したのです。
賀斉の派手好きな性格が国の危機を救ったと思うと、人生何がおこるかわからないものですね。
漫画に登場しないけど魅力的な武将はたくさんいる
賀斉のように漫画には登場しないけど、史実を見てみると非常に魅力的な武将はたくさんいるのです。
是非漫画だけでなく、史実をとおして本当の三国志の面白さを知ってほしいですね。