徐晃は魏の武将であり、楊奉の配下から曹操に帰順した人物である。
漫画版三国志の徐晃といえば、武器として大斧を担いだ猛将であり、劉備軍対曹操軍の戦いに度々登場するため、漫画読者の印象にも残っていると思います。
漫画における徐晃といえば、諸葛亮の北伐に際して、魏から蜀に寝返った孟達が放った矢を眉間に受け、壮絶な最後を遂げることで有名です。
ところが、史実における徐晃は、矢に射抜かれてもいなければ、孟達の反乱鎮圧にも参加していないのです。
それでは、史実に基づいて徐晃を紐解いていきましょう。
徐晃は単なる猛将ではなく知勇兼備な司令官
徐晃は、魏の五将軍と呼ばれ、徐晃伝は張遼、楽進、于禁、張郃らとともに1つの巻に収録されています。
中でも、もともと敵軍の捕虜の中から抜擢された人物は徐晃と張郃であり、徐晃がいかに優秀な武将であったかがよくわかりますね。
史実における徐晃は、漫画と何ら変わらず歴戦の猛将であり、官渡の戦いでは袁紹軍の穀物輸送車を焼き払って魏軍最大の戦果をあげたり、馬超の反乱時には川を渡って敵の背後に陣地を作る策を曹操に提案し、自らが精鋭4000人を率いて敵の背後に布陣しつつ妨害にやってきた梁興を打ち破ることに成功することで曹操軍の勝利に大いに貢献したりと、知勇兼備な特性を活かして縦横無尽に活躍します。
また、襄樊の戦いでは、曹仁が駐屯する樊城を包囲しつつ于禁の7軍を壊滅させて勢いに乗る関羽軍に対し、曹操軍の援軍として派遣された徐晃は、冷静な対処で関羽軍を大いに打ち破り、曹仁を助けて帰還しました。
このとき、曹操は本営の7里先まで出向いて徐晃を出迎え、徐晃の功績を大いに褒め称えました。
史実における徐晃という武将は、単なる一介の猛将ではなく、軍を率いて適切な指令を出すことができる知勇兼備な将軍であり、曹操からもその実力を大いに認められる優秀な人物だったのです。
個人の功名より曹操の覇道を最優先する生き様
徐晃は、史実において「こんな素晴らしい君主に出会えて自分は幸せ者だ。この幸運に答えるためには個人の功名なんて必要ない」というような言葉を残しています。
そして、その言葉どおり、武功をたてても一切驕り高ぶることなく、毅然とした態度で次の任務をこなすまさに武人の鏡でした。
このような徐晃の性格を表すエピソードとして、「襄樊の戦いにおける勝利で、曹操からその功績を褒め称えられて酒席を設けられたときも、多くの兵卒たちは持ち場を離れて騒いでいたのに、徐晃の軍だけは整然としていて持ち場を離れることはなかった」という話も史実に記載されており、いかに徐晃が曹操の覇道のためにのみ邁進していたかが窺い知れます。
漫画では魏の武将は安らかに眠らせてもらえない
そんな徐晃ですが、史実では227年に病床でなくなります。
漫画における壮絶な死と比べると、実に地味な最後ですが、徐晃本人にとっては曹家に忠義を尽くし最後を迎えることができたので幸せだったのではないでしょうか。
基本的に、漫画版三国志は、蜀=正義、魏=悪という構図で物語が進行するため、蜀を裏切った武将や、魏で活躍した武将は、蜀にとって都合のいいようななくなり方で描かれてしまう傾向にあります。
徐晃もその一人で、史実では227年に病気でなくなったのに、漫画ではその1年後の228年まで生かされた挙句蜀に寝返った孟達が放った矢によって壮絶な最後を迎えることになってしまうのです。
物語の演出上、より蜀の正当性を浮かび上がらせるために必要な改ざんなのかもしれまんせんが、徐晃本人からするとたまったものじゃないですね。
史実を読むと、徐晃と同様に畳の上でなくなったのに、漫画では戦場に駆り出されて壮絶な最後を迎える者がたくさんいることがよくわかります。
そんな事実を知るのも三国志の1つの楽しみ方ですね。