関興は蜀の武将であり、あの関羽雲長の息子にあたる人物です。
関興と言えば、漫画版三国志では張飛の息子の張苞とともに華々しく登場し、父に負けずとも劣らない武勇を発揮して劉備なきあとの蜀を大いに盛り上げます。
漫画読者であれば、関興と聞けばすぐに「関羽の息子の猛将」と頭に浮かぶでしょう。
父譲りの武勇を誇りながら、諸葛亮の命令を忠実に守って任務を遂行する姿は、多くの漫画読者から好感を持たれ、ついつい関興に感情移入して応援してしまっていた人も多いのではないでしょうか。
それでは、そんな関興の事績をみていきましょう!
漫画版三国志では第一線級の武将として北伐の要となる
史実を紐解いていく前に、まずは漫画版三国志における関興をもう少し詳しくみていきましょう。
関興が初登場するのは、父である関羽の弔い合戦として劉備が呉に戦いを挑んだ夷陵の戦いです。
この戦いにおいて、関興は父関羽の仇討ちを果たすため、縦横無尽に戦地を駆け巡り武功をあげていきます。
そしてついには、関羽の仇である呉の潘璋と出会い、一騎打ちで見事仇討ちを果たすのです。
漫画版三国志の第一巻から関羽の活躍を見てきた読者からすると、このときの関興の奮戦ぶりは涙ものであり、「よく頑張った!」なんて想いで胸が熱くなったのではないでしょうか?
張飛の息子である張苞と義兄弟の契を交わすシーンなんかも、劉備・関羽・張飛の桃園の誓いを見てきた読者からすると、ぐっとくるものがあります。
その後も、関興は父譲りの武勇を存分に活かし、諸葛亮の北伐で大いに活躍します。
関興や張苞は、北伐において趙雲や魏延らの一線級の武将と並ぶ武勇を誇っており、主要な猛将が次々となくなってしまっていた蜀において、新戦力として大きな期待を寄せられていました。
ところが、天のいたずらか、北伐の途中において関興は病に倒れてしまい、そのままなくなってしまうのです。
諸葛亮も大いに悲しみ、蜀の人材不足を憂いでいましたが、それ以上に読者側が「え、関興がなくなるの?強い武将がいなくなるじじゃん、蜀大丈夫なの??」と心配したのではないかと思います。
これが、漫画版三国志における関興の事績です。
史実では特に何もしていない関興
それでは、史実における関興はどんな獅子奮迅の活躍をしたのでしょうか。
わくわくしながら史実をみてみると、実はこの関興、実際は何一つ活躍していないのです。
夷陵の戦いで父親の仇をとったこともなければ、北伐にて武功をあげたこともありません。
そもそも、夷陵の戦いや北伐に参加していたという記述もありませんし、武勇の人であったかどうかも定かではないのです。
漫画版で夷陵の戦いにおいて関興に倒された潘璋は、史実ではその後も生きながらえて呉で大活躍していますし、史実において関興がなくなった年は定かではありませんが、夷陵の戦いでなくなった馬良の後をついで中監軍に任じられた後数年でなくなったと記載されているので、北伐前になくなっていた可能性もあります。
結局史実では、関興は若くしてなくなったことくらいしか記述がなく、漫画版三国志のような活躍は全くしていないのですね。
ただ、史実においても関興は優秀な人物であったと目されていたようで、諸葛亮からも将来を羨望されていたとの記述が残っています。
それに、関羽の息子というアドバンテージがあったとはいえ、あの馬良の後任を任されるくらいですから、ひとかどの人物ではなかったのでしょう。
もしも生きながらえていれば、それなりに活躍出来た可能性もありますね。
ドラマチックなストーリー性を生み出すキーマン
史実において特に目立った活躍をしておらず、若くしてなくなった関興ですが、それとは対象的に漫画では大きな活躍の場を与えられています。
これはひとえに、漫画のストーリーをドラマチックに演出するために都合が良い存在だったからでしょう。
関羽の息子という重要なキャラクターでありながら、史実では具体的な事績が残っていないので脚色も加えやすく、全体の流れを崩しすぎない程度に関興を活躍させることにより、ストーリーがぐんと面白くなるわけです。
天国の関興も喜んでいるのではないでしょうか。