甘寧は、呉の武将であり、劉表のもとから孫権に降った人物です。
甘寧は、呉の武将としては珍しく、漫画版三国志でも見せ場を用意されており、漫画の読者からすると「呉の勇将といえば甘寧!」といったイメージがあるのではないでしょうか。
むしろ、甘寧以外の呉の武将って、漫画だけを読んている人からするとほとんど名前をあげられないと思います。
それほどまでに、漫画版三国志では、呉に対する記述が薄いので、いつかは呉軍を中心とした漫画が描かれても面白いかもしれませんね。
そんな呉の中心人物として認識される甘寧ですが、史実では超荒くれ者の問題児なのです。
漫画版でもその片鱗は少し見せているのですが、それ以上に史実の方が荒くれエピソードが豊富に記載されている点で、甘寧は非常に魅力的な武将だと思います。
それでは、史実から甘寧を紐解いていきましょう。
不良どもの頭領として約20年にわたる活動
呉の勇将=甘寧というイメージが強いので、甘寧は呉の出身だと勘違いしがちなのですが、甘寧はもともと蜀で活動していた人物です。
活動といっても、官職を得てまじめに働いていたわけではなく、与えられた官を捨て、不良の若者たちを集めて徒党を組み、その頭領として活動していただけです。
要は不良グループのリーダー格だったわけですね。
甘寧は、自分の徒党を歓迎しなければ、地方長官だろうがなんだろうが手下を使って金品を奪わせるなど、問題行為を起こしていました。
その一方で、自分の領地で犯罪行為があると摘発して制裁を加えるなど、義勇軍のような行動をとることもあり、決して正義の心がなかったわけではなさそうです。
「まあ若かりしころなら誰でもそんな経験はあるよ」と言ってしまえばそれまでですが、甘寧の場合は特殊で、そのような生活を実に20年に亘って続けたのです。
甘寧の性質を窺い知ることができますね。
そんな甘寧ですが、後に益州、荊州と辿り呉の孫権のもとに降ります。
甘寧の人柄を表すエピソードには度肝を抜かれる
史実には荒くれ者甘寧の人柄を表すエピソードが記載されていますが、これを読む度に驚かされます。
例えば、呉志には、「甘寧は粗暴で人を処することを好んだものの、財貨を軽んじて士人を敬い、手厚く勇者たちを育てたので部下から信頼された」といった記載が残っています。
甘寧の良いところを挙げるための文章でありながら「人を処することを好んだ」という一文で台無しですよね。
また、あるとき甘寧の料理人が小さなミスをして呂蒙の屋敷に逃げ込みました。
呂蒙は甘寧の粗暴な性格を知っていたので、決して料理人を手にかけないことを約束させた上で甘寧に料理人を引き渡しましたが、甘寧はその約束を破って料理人を木に縛り付けた上で手にかけてしまったのです。
実に怖いエピソードですよね。
このように、史実における甘寧はとんでもエピソードに事欠かない人物だったのです。
性格に問題があっても優秀であれば重用される
普通であれば、大きな罰が与えられてもおかしくない言動を繰り返した甘寧ですが、史実においては特に罰を与えられるわけでもなく、逆に重用され続けています。
甘寧が問題を起こしても、同僚の呂蒙や君主である孫権は、結局許してしまうので、甘寧も何度も問題を起こすことになるわけですね。
これはひとえに、甘寧が武将として相当優秀だったからでしょう。
凡庸な人物が、問題行動をおこしたら、間違いなく処罰されますよね。
逆に言えば、世の中の大半は甘寧のように優秀な人間ではないわけで、そんな普通の人間が驕り高ぶって問題行動を起こしてしまえば、一発アウトです。
現代社会は、三国時代にように例外が許される時代ではないので、規律は守って生きていきましょうね。