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蜀の武将黄忠漢升!五虎大将軍の一人でありながら謎多き人物?!

黄忠漢升は、蜀の武将であり、劉備が荊州南4郡を平定した頃に劉備に帰順した人物です。

黄忠の没年は220年と言われており、劉備が荊州南4郡を平定したのが209年頃なので、劉備のもとで活動したのは約10年ほどしかないのですね。

黄忠といえば、漫画版三国志では、関羽、張飛、趙雲、馬超とともに五虎大将軍の一人とされ、彼らと同様に持ち前の武勇を活かして大いに活躍した老将ということになっています。

それでは、史実の黄忠はどんな人物だったのでしょうか?

黄忠の活躍は定軍山で夏侯淵を討ち取ったことのみ

漫画版では五虎大将軍として大いに活躍した黄忠ですが、史実ではその活躍はほとんど描かれていません。

そもそも、蜀という国には歴史官がおらず、自国の歴史を書として残すことをしなかったので、黄忠が如何に重要な武将であったとしても、具体的に何をした人かまでは詳しくわからないわけです。

ところで、漫画版における黄忠といえば、定軍山で魏軍の総大将夏侯淵を討ち取ったことで有名ですよね。

夏侯淵は、曹操の旗揚げ当初から付き従っていた勇将であり、対蜀の防衛ラインにおける魏の要であったため、夏侯淵を討ち取った功績は大きく、そのインパクトも相当なものでした。

この夏侯淵を討ち取ったという事実ですが、史実にもしっかり書かれています。

もちろん、漫画のように一騎討ちで黄忠が自ら討ち取ったというわけではなさそうですが、軍師法正の指示を受けた黄忠軍は、背後から夏侯淵の軍に襲いかかり、これを討ち取ったと史実にはっきり記述されています。

まあ、正直なところ、これは軍師法正の策略が良かったと言えなくもないですが、それでも勇将夏侯淵に積極的に立ち向かって討ち取ったわけですから、黄忠が有能な武将であることは間違いありません。

しかし、史実から窺い知ることが出来る黄忠の活躍はこの一点のみです。

その後は、劉備が漢中王になると後将軍に任命され、その翌年に亡くなったと記述があるのみなのです。

ちなみに、黄忠といえば老将というイメージがありますが、そもそも黄忠の生年がわかっていないので、本当に老将だったのかどうかもわかりません。

関羽が「あの老兵と同列に扱われるのは嫌だ」と言ったことから、黄忠=老将のイメージが付いたようですが、そもそも関羽は黄忠に直接会ったことがないはずであり、関羽のこの台詞は、怒りに任せて言った台詞であって、本当に黄忠のことを老兵だと思って言った台詞ではないのです。

つまり、黄忠という人物は、漫画のストーリーをより面白くするために多大な飾り付けをされた人物であり、実際にところは「夏侯淵を討ち取る活躍をした人物」という以外に何もわかっていないのです。

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何もわからないからこそ想像の余地がある黄忠像

史実を読んでも黄忠の実像を知ることは出来ませんが、僕はそんな人物だからこそ大きな魅力があると思っています。

何もわからないぶん、「あのとき黄忠は何をしていたのだろう」とか「ここで出世しているということは何か大きな活躍をしたのではないか」といったように、勝手に妄想できる余白がたくさんあるのも黄忠の魅力です。

例えば、劉備と出会う以前は、劉表に従えていたようですが、その頃の黄忠の実績は何一つわかりません。

だけど、あの夏侯淵を討ち取るほどの武勇の持ち主ですから、何の活躍もなかったわけがないと思うのです。

そう考えると、劉表の配下時代、黄忠はどんな活躍をしたのだろうと思いを巡らせることができますね。

また、黄忠が劉備に仕えてから定軍山で夏侯淵を討ち取るまでは、約9年ほどの期間があり、その間黄忠は何をしていたのだろうといった疑問も湧いてきますね。

史実を知るというのは、漫画では知らなかった武将の新たな一面を知ることができるという楽しさがあると同時に、明らかに記載の少ない武将の半生を想像してみることで世界が広がるという楽しさもあるのです。