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蜀の王平子均!北伐で活躍した武将は諸葛亮が没した後の蜀の支柱!?

王平は蜀の武将であり、魏蜀の漢中攻防戦において魏から蜀に降った人物です。

王平といえば、漫画では諸葛亮の北伐において活躍し、趙雲や魏延といった一線級の武将には敵わないものの二線級の武将として諸葛亮の指令を忠実に守って奮闘した姿が印象深いのではないでしょうか。

そんな王平の史実における活躍を紐解いていきましょう。

ちなみに、僕は王平という武将が大好きなので、ちょっと贔屓目な紹介になるかもしれません。

北伐における大活躍は紛れもない事実

一般的に、蜀の武将は、史実で大した活躍をしていなくても漫画で大きな活躍の場を与えられる傾向にありますが、王平に関しては漫画の姿に負けず劣らず史実でも大いに活躍しています。

諸葛亮の北伐に際して、王平が最も大きな功績を挙げたのは、街亭の戦いにおいて魏軍の侵攻に耐えて踏みとどまったことでしょう。

王平は、山上に布陣した馬謖を諌めたものの聞き入れられず、馬謖が大敗すると、勢いに乗って街亭を抜こうとする魏軍を迎え撃ち、少数の部隊で踏みとどまって魏軍の侵攻を抑えたため、魏軍も伏兵の存在を疑って蜀陣深くまで踏み入ることができませんでした。

これにより、蜀軍は全滅を免れることができ、この度の大敗で多くの武将が処罰される中で王平のみその功績を認められたのです。

この文章だけを読むと、「何だ、敗戦処理をやっただけか」と思われがちですが、街亭という要地は食料供給経路として非常に重要な地であり、ここを抜かれれば蜀軍が総崩れとなって一気に魏軍が蜀領までなだれ込んできた可能性が高いため、王平による魏軍の侵攻阻止は、北伐の中でも一、二を争う重要な出来事なのです。

そんな重要な任務をこなすことが出来る王平は、他にも魏の張郃が攻めてきた際にこれを撃退したり、蜀軍撤退に際して魏延が楊儀討伐の兵を上げると、楊儀軍の先鋒としてこれを迎え撃って魏延を打ち破ったりと、北伐において大いに活躍します。

張郃や魏延といえば、魏・蜀でも一線級の武将であり、彼らと渡り合って五角以上の戦果を挙げているあたり、王平の優秀さが伺えますよね。

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諸葛亮が没したの北方守備の要

僕が王平を好きな理由の1つは、諸葛亮が没した後の王平の活躍にあります。

もちろん、王平は諸葛亮存命時に北伐で多いに活躍したのですが、それ以上に諸葛亮亡き後の蜀において対魏戦の要として大いに活躍したのです。

諸葛亮亡き後、劉備の親戚にあたる呉懿将軍が漢中の守備にあたっていましたが、呉懿が亡くなると、王平は鎮北大将軍に昇進し漢中を一任されることになります。

鎮北大将軍とは、対北方の軍事の最高責任者といった意味合いなので、蜀において対魏戦線の最高責任者に相当します。

そんな重要な役目を任された王平は、 漢中の軍事や行政を一手にに引き受けることになります。

ここで1つ言っておきたいのが、王平は、もともと文章もかけず文字もほとんど読めないような出自であり、そんな彼が漢中という蜀最大の要所における行政まで任されていたわけですから、如何に王平が優秀だったかよくわかりますね。

軍事面においても相変わらず王平は優秀で、244年に魏の曹爽が10万もの兵を率いて漢中へ侵攻するという諸葛亮亡きあとの蜀にとって最大のピンチがおとずれたとき、周りの人間が慌てふためく中王平の冷静な指揮によりこの大軍を撃退することが出来たのです。

漫画の読者であれば、大軍といえば50万や100万といった数を想像しがちですが、当時そこまで大規模な行軍は実質不可能であり、史実においては数万の軍でも国の存亡がかかる大きな軍事なのです。

そんな中、10万を超える大軍が攻めてきたわけですから、蜀の人たちが慌てふためいたのは無理もないことで、そんな中で冷静にこの大軍を撃退した王平はまさに一国の軍事を担う器といえるでしょう。

完璧な仕事ぶりでありながら人間味溢れる性格ももった人物

ここまでで、史実における王平が如何に完璧に仕事をこなす優秀な武将であったかよくわかったと思いますが、史実には王平に対してマイナスイメージを与えるような記述もあります。

それは、王平伝に記載された「偏狭で疑い深く、軽はずみな人柄であったため、それが欠点である」という一文です。

ただ、僕にとっては、そんな欠点を持っているからこそ王平という武将により魅力を感じるのです。

ロボットのようにすべてを完璧にこなす超人よりも、どこか人間味を残しながら超人的な活躍をする人物の方が、「この人も同じ人間なんだな」という親近でとても好感が持てるのは僕だけでしょうか。