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呉の皇帝孫権仲謀!史実の彼はとんでもない悪役だった?!

孫権仲謀は、呉の初代皇帝であり、孫堅の子、孫策の弟にあたります。

漫画版三国志では、魏と蜀との敵対関係を中心に物語が進むため、呉という国がないがしろのされがちです。

漫画を読んだ人に呉の印象を聞いても、「関羽を倒した国でしょ?」「確か赤壁で周瑜が活躍してたっけ?」くらいの答えしか返ってきません。

孫権なんて、「呉の君主でしょ?」というくらいの認識で、それ以上でもそれ以下でもないのではないでしょうか?

確かに、漫画版三国志での孫権は、没個性的で、「ちょっと酒に飲まれるタイプだけどまあ普通の君主」といった印象を受けるのは無理もありません。

漫画版三国志における呉軍の代表的な戦闘シーンである赤壁の戦いでも、指揮を任されたのは周瑜や黄蓋であり、孫権自身は戦いに参加していないので、せっかくの呉軍の活躍のシーンにも一切顔をみせておらず、読者の心に残らないのも無理はありませんね。

ところがこの孫権、史実では超個性的な人物なのです。

晩年を汚した孫権の生き様

史実における孫権のみどころは、何と言っても晩年でしょう。

劉備や曹操といった英雄たちと渡り合っていた頃は、孫権も聡明な君主で、曹丕が呉へ使者を送った際にはその使者から「聡明、仁智、雄略」と評されているほどです。

ところが、孫権は、年齢を重ねるにつれてどんどんおかしくなっていきます。

240~252年にかけての孫権はもはや暴君といっても過言ではありません。

奸臣呂壱を重用し、民衆には重税を課し、家臣も多数手にかけるという、とんでもない暴政を開始したのです。

その後は、後継者問題で毅然とした態度を示すことができず、結果として国の重臣を巻き込んでのお家騒動に発展していきます。

この頃に呉の有能な家臣たちは全て孫権の手にかけられたため、孫権没後の呉は弱体化の一途をたどり、晋に侵攻されて滅んでいくのです。

漫画版の三国志は、あくまで劉備対曹操の構図であり、劉備が挙兵する180年代から諸葛亮が没する230年代あたりを中心に描かれているので、孫権の傍若無人な行いは漫画版三国志では一切語られていません。

史実を紐解いていくと、孫権はとても面白いキャラクターなのですが、時期が悪かったですね。

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なぜ聡明な孫権が暴君と化したのか?

孫権がなぜ暴君と化したのか、その具体的なきっかけは明らかではありません。

ただ、劉備、曹操といった好敵手が次々と世をさり、蜀が北伐と称して魏に侵攻する最中、呉は蜀と同盟をむすび魏との戦もほとんどない状況だったため、平和ボケしてしまったのかもしれませんね。

もともと酒グセが悪く、酒に飲まれるタイプだった上に、奸臣呂壱に取り入られてしまい、リミッターが外れるようにして暴君へと変化してしまったのではないでしょうか。

終わりよければすべてよしという言葉がありますが、孫権の場合、最初は聡明で部下からの信頼も厚い君主であったのに、晩年その信頼を失うような行動を繰り返したため、その評価は高くありません。

自分でまいた種とはいえ、どこか寂しく感じますね。

最後まで気を抜いてはいけない

孫権を見ていると、人生は最後まで気を抜いてはいけないなと考えさせられます。

いくら若い頃に「優秀だ」「聡明だ」なんて言われても、晩年を汚すような行動をとってしまうと、その評価も180°変わってしまいます。

現代社会においても、晩年になって自分の行動で身を滅ぼすなんてことはありがちなことですよね。

例えば、就職して数年間は必死に頑張って社内でそれなりの評価を得て、出世コースにのったものの、役職について気が緩んだのか仕事に対するモチベーションが落ちてしまい、部下からの評判も下がって結果的に定年間近で窓際族になってしまうなんてことが、実際に僕の会社内でも起こっています。

そうならないためにもで、孫権を教訓として最後まで気を抜かない人生をおくりたいですね。