孫策伯符は、呉の初代皇帝孫権の兄であり、呉建国の礎を築いた人物です。
孫策は、26歳の若さで亡くなるのですが、その勢いは大変なもので、袁術配下の将軍時代からたった7年で大きく躍進し、自身の領土を急速に広げていきました。
漫画版三国志においても、孫策の活躍は詳しく描かれており、まだ歳の若い孫策が破竹の勢いで敵陣を陥れていく様が詳細に示されていますね。
漫画版三国志を読んだ読者であれば、孫策といえば「若くして亡くなったけど勇猛で勢いのある武将」といったイメージではないかと思います。
そんな孫策ですが、史実ではどのような人物なのでしょうか?
史実として一騎打ちの記録が残っている数少ない武将
勇猛な武将というイメージが強い孫策ですが、史実でもそのイメージどおりと言っていいでしょう。
史実の中でも目を見張るエピソードとして、太史慈との一騎打ちがあります。
漫画を読んでいると、大将同士の一騎打ちは当たり前のように行われていたと誤解されがちですが、当時一騎打ちは一般的に行われていたわけではなく、史実として一騎打ちの記録が残っているのも数件しかありません。
孫策と太史慈との一騎打ちは、その1つなわけですね。
孫策は当時袁術の武将であり、太史慈は劉繇の武将であったため、まさに大将同士の一騎打ちで、歴史に残る稀有な出来事になりました。
結局、数合打ち合って決着がつかなかったため、引き分けに終わるのですが、一騎打ちに応じるほどの気概を魅せる孫策という人物は、まさに勇猛な武将と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。
袁術から独立して勢いに乗るものの…
袁術の武将として劉繇を打ち倒し、曲阿という拠点を得た孫策は、勢いにのって袁術から独立し、破竹の勢いで勢力を拡大していきます。
このあたりは、漫画版三国志にも描かれているとおりで、中国の南方を次々と平定していくのです。
なお、この時期に呂蒙や虞翻といった優秀な人材を登用し、彼らが孫権時代に大きな活躍をみせることになります。
ただ領地を拡大しただけでなく、積極的な人材登用で呉の発展の礎を築いたわけですね。
そんな大躍進の孫策ですが、あっけない最後が訪れます。
許貢の客人3人から復讐と称して襲撃を受け、彼らが放った矢に射抜かれて倒れてしまうのです。
孫策は、若くして大躍進を遂げた分、多くの人から恨みを買っている身だったのですが、自分の身をわきまえずに備えが足りなかっといえるでしょう。
勢いのあるときこそ慎重な気持ちを!
孫策を見ていると、勢いにのっているときこそ慎重に物事をすすめないといけないなと考えさせられます。
仕事でもスポーツでも何でもそうですが、勢いにのって一気に攻勢をしかけているときこそ、自分を客観視して慎重に行動しないと、大きなミスに繋がったり、大逆転を許したりしてしまうものです。
現代にも通ずる教訓ですね。