ゆるさんの自己紹介

魏の曹洪子廉!武勇を誇る勇将はケチな性格で身を滅ぼす?!

曹洪は、魏の武将であり、曹操の従弟にあたります。

曹操が反董卓のために挙兵すると、曹洪はこれに従い、同じく曹操の従弟の曹仁とともに各地を転戦します。

漫画版三国志においても、曹洪は活躍の場を大いに与えられており、特に曹操が董卓に敗れて絶体絶命のときには、曹操のもとにかけつけ、ケガをしている曹操を担いで川を渡りきる活躍をみせています。

このため、漫画の読者は、「曹洪といえば、曹仁とセットで登場する曹操黎明期からの臣下であり、曹操のピンチを救った勇将」といったイメージがあるのではないでしょうか。

では、史実における曹洪はどんな人物だったのか、紐解いていきましょう。

曹操軍における活躍は本物だけど指揮能力に疑問が残る

史実においても曹洪はしっかり活躍しています。

特に、漫画でも描かれた曹操を救出する場面は、史実にも記載があり、漫画よりも史実の方がよりかっこいい活躍を魅せるのです。

曹操が董卓軍の徐栄に敗れて馬を失ったとき、曹洪が曹操に馬を譲ろうとすると、曹操はこれを辞退しました。

そのとき曹洪は、「天下に曹洪がいなくても問題ないが、曹操がいないことは許されない」といった内容の言葉を曹操に直接伝え、無理矢理曹操に馬を譲って自分は徒歩で曹操に付き従ったのです。

めちゃくちゃかっこいいエピソードですよね。

その後、曹操とともに船に乗って逃げ、事なきを得るのですが、それ以降も曹操の信任は厚く、あらゆる戦地においてその武勇を活かして大いに活躍します。

一時期は驃騎将軍という大将軍に次ぐ将軍職を与えられており、曹操の従弟とはいえ多大な武功をあげたことは疑う余地もありません。

ただ、曹洪は、武勇は本物だったものの指揮官としての能力に多少問題があったようで、曹操は、とある戦いにおいて曹洪の参軍に曹休をつけた際に、曹休に対して「実質的な指揮官はお前だ」と言ったというエピソードがあります。

曹操にとっても、曹洪は非常に優秀な武将でありながら、指揮系統に多少不足を感じるからこそ、曹休をつけたのでしょう。

そういった面で、曹洪は曹仁よりも少し見劣りする印象を受けます。

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生粋のケチな性格で身を滅ぼす

曹洪を語る上で外せないのが、そのケチな性格です。

曹洪は、資産形成を重要視したようで、自分から金銭を使わないケチな性格だったようです。

その証拠として、納税のときに曹洪の資産を調べた県令が、曹洪の資産が曹操と同等であるとの報告を曹操にしたときに、曹操は「自分の資産が曹洪と同程度のはずがない」と語ったエピソードが残っています。

曹操は自分の財産が曹洪よりも上だと思っていたわけではなく、曹洪の方が自分よりも財産を持っていると思って、このように語ったのです。

君主から「自分より財産を持っている」と言われるほどに、曹洪はケチな性格で自分の資産形成に躍起になっていたわけですね。

そんな曹洪ですが、そのケチな性格がたたって、晩年は暗い人生を送ることになります。

あるとき、曹丕から金を貸してほしいと頼まれた曹洪は、あろうことかこれを断ってしまうのです。

太子の頼みを家臣が断るわけですから、相当ケチですねよね。

そして、これを恨みに思っていた曹丕は、自身が皇帝になると、走行の食客が罪を犯したことを理由に、曹洪を連座させて処罰しようとします。

幸いにも、曹洪は曹操の従弟であり、建国の立役者なので、周りからの反対に合い大きな処罰は免れますが、これに伴って財産を没収されてしまいます。

ケチがたたって財産を失うとは、何とも悲しいですね。

ケチな性格で得することは実は少ない

現代社会においても、ケチな性格の人は周りから嫌われがちですし、あまりいい思いをすることはありません。

もちろん、倹約はいいことですが、他人にまで迷惑をかけてしまうような行き過ぎたケチは、自分の身をも滅ぼすのです。

曹洪を教訓として、金銭面におおらかな生き方をしたいですね。