張嶷は蜀の武将であり、劉備が益州を平定したときに劉備から高く評価されて従事に任命された人物です。
張嶷も、王平や馬忠といった武将と同じく、漫画では諸葛亮の南蛮征伐や北伐に随行して活躍した一武将という位置付けで描かれており、諸葛亮の指示を仰いで粛々と行動する二線級の武将といったイメージが強いのではないでしょうか。
ところが、史実の張嶷は、超カッコイイいぶし銀な武将なのです。
史実に基づいて張嶷を紐解いていきましょう。
活躍の場は対魏よりも蜀の南方が中心
漫画では、張嶷は諸葛亮の北伐に随行して魏と戦っているのですが、史実の張嶷は諸葛亮の北伐には随行していません。
張嶷は主に蜀の南方の反乱制圧で活躍しており、馬忠の副将として長年に渡って彼を支え続けた人物なのです。
史実には、馬忠による反乱制圧や異民族討伐は、張嶷の武勇や計略によるところが大きかったと記載されており、張嶷がいかに優秀な武将であったかがよくわかります。
張嶷は、武力で反乱を鎮めるだけではなく、異民族の勢力が強く郡として機能していなかった越巂郡を平定して郡の機能を回復させるなど、行政面においても大いに功績をあげました。
張嶷が成都に召還されて帰還する際には、異民族たちもすっかり張嶷に心酔しており、張嶷軍の車にすがって涙を流したといいます。
この活躍は、漫画でいうところの孟獲を心酔させた諸葛亮と同様であり、おそらく漫画のこのエピソードは、張嶷の史実をもとに描かれたのではないかと推察されますね。
張嶷は、馬忠と同様に、単なる武人ではなく軍事と行政両面において有能な人物であり、諸葛亮の北伐の影に隠れて蜀を支え続けた功労者なのです。
最後がとにかくカッコイイ張嶷
張嶷は、晩年は重病で歩くこともままならなかったのですが、姜維の北伐に際して志願してこれに参加することになります。
そして、出立の際に、張嶷は劉禅に対してこのような言葉を残すのです。
「私は陛下の恩寵を受けながらも病でいつ倒れるかわからない身になってしまいました。急に世を去ることになって陛下の恩に背くことになるのではないかといつも心配していましたが、今回北伐に参加する機会をいただきました。もしも魏軍を打ち破り涼州を得たならば、私は涼州の地で逆賊を防ぐ守将になりましょう。もしも勝利が得られなかったら、私の命を捧げて陛下の恩に報いるつもりです」
これを聞いた劉禅は、感動して涙を流したといいます。
どうでしょう、かっこよすぎませんか?
病は決して自分のせいではないだろうに、病のせいで国の恩に報いることが出来ないかもしれい自分を恥じるという点において、張嶷は忠義心の固まりのような人物です。
結果的に、張嶷はこの北伐で陣没してしまうのですが、それでも持ち前の知略で大いに活躍し、蜀軍に貢献しました。
そして、張嶷がなくなったきには、蜀の人たちだけでなく、張嶷に恩義を感じていた異民族まで、大いに悲しんだと史実に記録されています。
忠義を貫いたその生き様は多くの人に賞賛され、今なお語り継がれているわけですね。