張郃は魏の武将であり、官渡の戦いにおいて袁紹軍から曹操軍へと降伏した人物です。
漫画版三国志では、諸葛亮の北伐を度々阻む武将として活躍する姿が印象的で、活躍の機会も多く与えられており、漫画の読者であれば「司馬懿に従って蜀を阻んだ猛将」といったイメージではないでしょうか。
漫画では、官渡の戦いは描かれておらず、張郃は曹操軍の一員として初登場するので、もともと袁紹の武将だったというのも意外だと思います。
しかも、史実における張郃が曹操に降った理由は、「張郃は淳于瓊の敗北を喜び不遜な態度をとっている」との噂を流されて処罰を恐れたからであり、曹操という人物に見惚れて臣下に加わったわけではないため、その後の魏での大活躍から考えると少し意外な感じもしますね。
それでは、史実における張郃を紐解いていきましょう。
諸葛亮の北伐時代における魏髄一の将軍
漫画版の三国志を読んでいると、張郃といえば、定軍山の戦いでは夏侯淵の配下として活躍し、北伐では司馬懿の配下として活躍しているため、なぜか司令官のもとで任務をこなす二線級の武将といったイメージがつきまといます。
しかしながら、張郃は、司令官として超優秀な魏髄一の将軍であり、各方面司令官を任せられる器の人物なのです。
事実、張郃の最終的な位は征西車騎将軍という将軍職なのですが、そもそも「征西将軍」とは対西方面の司令官といった意味合いを持つ将軍職であり、「車騎将軍」とは主に皇帝の信任する者や外戚が就任することが可能な大将軍、驃騎将軍に次ぐ上から3番目の将軍職です。
張郃は、皇帝の外戚でもないのに、この2つの将軍職を併せ持った征西車騎将軍に任命されているわけで、いかに張郃という武将が優秀だったか窺い知ることが出来ますね。
漫画読者からすると意外だったのではないでしょうか。
なお、史実の張郃伝によれば、「張郃は諸葛亮から恐れられていた」「張郃はただの武人ではなく朝廷とも関わっていた」とのことであり、魏における張郃の影響力がいかに大きく、対蜀においても非常に大きな役割を担っていたと考えられます。
司馬懿との関係性は対等かそれ以上
張郃を語る上で、司馬懿の存在は外せませんね。
漫画では、張郃は司馬懿の統率する一武将といった印象ですが、史実では、張郃は征西車騎将軍という非常に高い位についているのです。
231年の対蜀戦の時点で、司馬懿は大将軍の位についており、張郃よりも格上であることは間違いないのですが、この時点では張郃の方が実戦経験も年齢も司馬懿より遥かに上だったと考えられ、現場においても張郃は度々作戦を立てて司馬懿に提案していました。
しかしながら、張郃が建てた作戦はことごとく司馬懿に採用されず、祁山から撤退する諸葛亮軍の追撃を司馬懿に命じられた張郃は、追撃の途中で蜀軍と交戦になり、そのとき受けた矢傷がもとでなくなってしまいます。
このような事実から、ついつい疑ってしまうことがあります。
それは、「張郃の殉職は司馬懿の陰謀なのではないか」という説です。
231年の時点では、張郃よりも司馬懿の方が高い将軍職についていますが、その位に大きな差はなく、張郃は後々司馬懿の政敵になってもおかしくありません。
史実には張郃は朝廷とか変わっていたとの記載もあるので、張郃は単なる武将ではなく、魏において大きな発言権を持つ人物だったと考えることもできますね。
そう考えると、司馬懿からすれば張郃は今のうちに排除しておきたい存在であって、だからこそ実戦経験豊富な張郃の作戦を全て不採用とし、追撃という危険な職務を与えたのではないでしょうか。
といっても、全ては推測にすぎないのですが、こうやって考えを巡らせるのも三国志の1つの楽しみ方だと思います。